オタクの労力


土曜日にマイミクのMAKO氏に会っていたのだが、妙なことに多大な労力を費やす俺に、努力する方向性が間違っている、みたいな事を言っていた。
ごめん、オタクってそういう生き物なんだよ・・・。



まあ、それを踏まえて昨日の話題なんですが、エロゲメーカーover drive、一作目の「エーデルワイス」が12月15日に発売されたわけですよ。一応見苦しい言い訳はしておきますが、エロゲをやり始めたのは今年から、それもエロ抜きで楽しめるシナリオ重視のゲームを多大な労力を費やし探し出してやっております。
以前趣味で小説を書いていたせいか、どうしてもシナリオにはこだわってしまいます。アニメ、マンガ、映画、ドラマ、演劇どれも非常に好きな分野ですが、どうしても尺が限られてしまうため中途半端になってしまうものも少なくありません。
そこで、心理描写も細かく書ける小説と、小さいディスクに大容量を詰め込めるゲームが出てくるわけですが、シナリオと同等くらいに重視している楽曲が含まれる分、ゲームにおけるノベルゲームが自分には最適なわけです。


今、2次元ものは日本の文化とか褒められたり揶揄されたりしています。知らない方も多いと存じますが、イギリスやスペインでは大変なことになっています。過激な2次元物に対する規制が、家族がテーブルに集う時間のニュースで論議されたりしているのです。ただ、オタクに対する偏見だけで弾圧的な非論理的な意見を言う人もいるので、まとまりがないようにも思えます。まあ、その辺の話は暇なときに時にするとして、日本にも、オタク関係に対する規制がどんどん厳しくなったりしてますよね。
その流れがあったのか、無かったのか、1990年代後半からエロゲ(ギャルゲも含む)も分化の道を辿ってきたようです。大別すると、従来のただ単純に絵師やエロテキストで正にエロ目的のエロゲを作るのか、そしてシナリオ特化でエロは二の次でエロゲを作るのか。(まあ、規制云々というより、エロに飽きられたから後者が出来たというのが事実なんでしょうけど。)
シナリオ特化というのもいろいろございまして、結果はどうあれ心理描写をリアルに書き出したものから、哲学的な問題を取り入れたもの、伝奇的なものまでいろいろ取り揃えているわけですよ。これがあながちバカにできないわけですよ。エロ無しPCギャルゲーで、業界内でですけど爆発的に売れたものまであるくらいです。


まあ、別にこれで皆様のオタク観を変えようというわけではありません。ただ、おれがいつも思っていること。エロゲにしろ、コンシューマーゲームにしろ、アニメ、マンガ、映画、その他どんな分野においても、面白いものは面白い。つまらないものはつまらない。良いものは良い。悪いものは悪い。それだけです。
ただ、以前エロゲに関しての考察を読んで共感したことがあり、そこには、「エロゲは世間一般的に悪だが、悪は悪としての節度を守れば、共存はできる」みたいなことが書かれていました。やりかたによっては必要悪になり得る、そういうことなのだと思います。(これが、過激な2次元物に置ける規制論争の重要なところです)


まあ、なんにしろ需要供給それぞれの立場での節度が大事ってことで、一人のキモオタの考えとして軽く聞き流してやってください。




で、「エーデルワイス」なわけですが(前置き長っw)
中盤までは非常に楽しめた。プロデューサー、bambooのグリグリのりよろしくって感じで、主人公含むバカ連中が騒動起こす、女子と対立そして和解、結束が固まる。その辺は相変わらず清々しいものがある。問題はその後だ。後半各ヒロインでシリアス展開になるわけだけど、その辺の心理描写が弱かった。特に遥花、みずき、芽衣ルートは非常にシリアスな話になるので心理描写は必須だったと思う。
それに加え、グリグリでは結構表現されてたヒロインの気持ちが伝わってこない。あくまで主人公の独壇場。ギャルゲーの主人公ってゲームの性質上、ヘタレだが思慮深い面があるっていうのが通常なのだが、この主人公はバカ正直なだけ。他には無いものを作りたいって気持ちがあったのだろうが、もうちょっと悩んでも良いのではないかい一志君?って感じでした。


全体的にみればシナリオの内容は良かった。でも展開の仕方が良くなかったのと、特徴であるノリを重視したせいなのかボリューム不足が否めない。
システムは問題ないし、絵も好みですよ。
音楽は非常に良かった。エンディングムービーだけ見ると、これ蝶名作ゲームだったんじゃないかと思わせるほどw


惜しい本当に惜しいのですよ。メインである遥花ルートのシリアス展開だけでももうちょっと頑張ってくれたら、名作だったのに・・・。
まあ、そんな中では芽衣ルートが良かったですよ。本当、芽衣作でしたよ。